筑豊の文化遺産(嘉飯地域の国指定文化財)

 このたびの特集は、嘉飯地域にある国指定文化財についてお話いたします。嘉飯地区にある国指定文化財のうち、今回あげる文化遺産は筑豊の古代を知る上でとても重要です。それでは筑豊の古代にタイムスリップしてみましょう。
 まず数ある文化遺産の中でも弥生時代のものとして、特筆されるのが立岩堀田遺跡群(国重要文化財:飯塚市)です。昭和38、40年に発掘調査がおこなわれ、この時甕棺墓が多数確認されました。この甕棺には、中国の古代王朝(だいたい2000年前ごろ)からもたらされたとされる銅鏡や銅矛、銅剣などが大量に副葬されておりました。これらは、現在飯塚市歴史資料館で展示され、弥生時代の「クニ」を考える上で重要視されております。
立岩堀田34号甕棺出土状況
【立岩堀田34号甕棺の様子(飯塚市歴史資料館提供)】
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【中国製銅鏡(飯塚市歴史資料館提供)】
 続く古墳時代、「王」の埋葬のため日本各地に、あまたの古墳がつくられました。この時代の古墳が筑豊地方にもあります。その代表格といわれる古墳として、王塚古墳(国特別史跡:桂川町)があげられます。装飾古墳でも日本を代表するものとして古くから著名です。遺体を安置した石室の壁には、5色の顔料で色彩豊かな文様が描かれております。なお、石室は密閉保存されており、毎年4月と10月に一般公開されます。
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【王塚装飾古墳の内部(王塚装飾古墳館提供・レプリカ)】
 「国」としてのまとまりができた古代、この時代にも筑豊を代表する史跡があります。それは鹿毛馬神(こう)籠(ご)石(いし)(国史跡:飯塚市)で、今から1300年前ごろに築かれた山城です。当時東アジアの緊迫した国際情勢が背景にあって、この地に造られました。現在も標高80mの低い丘陵に、約80cm程度に加工された切石が約2kmにわたって巡っています。
鹿毛馬神籠石
【鹿毛馬神籠石(飯塚市歴史資料館提供)】
 また、もうひとつ古代の文化遺産として大分廃寺(国史跡:飯塚市)があげられます。これは、仏教による護国思想が各地に浸透していったことを物語ります。
 これらの文化遺産を古い順にふり返ってみると、この地域の歴史と国の発展する過程がみえてきます。いわば、嘉飯地域を例にした、「筑豊くにづくり」ものがたりです。
【おススメ散策法】
今回あげた遺産は、古い時代の物語です。まずは、飯塚市歴史資料館で概要をつかみ、それから現地に行くほうがわかりやすいでしょう。また、当館で立岩堀田遺跡群(飯塚市)の出土資料が見学できます。一部の人々しか入手できなかった貴重品にふれ、弥生時代の「クニ」の様子がしのぶことができます。
 王塚古墳(桂川町)では古墳館にてレプリカを見学します。また、県指定史跡の小正西古墳、川島古墳(ともに飯塚市)、沖出古墳(嘉麻市)も随時見学可能です。弥生時代にはなかった巨大な古墳がつくられたことや豊かな副葬品をみることで、生産性の高い当時の社会と地域の「王」の存在を感じることができます。
 古代の史跡群からは現代社会に通じる部分を体感できます。「国」どうしの関係が緊張して生まれた鹿毛馬神籠石は、戦闘に対する準備がおこなわれたことを示します。一方大分廃寺は、このころ仏教が日本社会に大きく浸透したことを物語ります。以上のように見学すると、順序よく筑豊地方の地域社会の発展過程を学べ、かつ日本史の親しむことができます。

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