今回から数回かけて、筑豊のローカル駅にクローズアップしてみようと思います。
その一回目として取り上げるのは、平成筑豊鉄道油須原駅です。木造駅舎としては、だいぶ古い建築様式だと言われております。そのためか最近訪れる人々も見られるようになりました。たしかに駅周辺の景観ともども、この付近だけは時がとまったかのように「どこか懐かしい」と感じさせます。都会ではなかなか見られなくなった、筑豊の奥ゆかしい光景のひとつではないでしょうか。
木造駅舎最古級の歴史
外観から
油須原駅の開業は明治28(1895)年と古く、かつ平成筑豊鉄道の駅舎として現役です。つまり、駅としては125歳という歴史を今に刻んでいます。
開業当初、豊州鉄道という地元資産家が中心となって出資した株式会社が管理運営していました。その後、明治期に九州私鉄の雄とも言われる九州鉄道株式会社に吸収合併され、明治40(1907)年鉄道国有法によって国鉄となりました。
木造駅舎は、九州鉄道が編集した『駅勢一覧』という文書に記録があります。
それによれば、明治28年に駅舎が竣工したのち、同34年に改築工事が行われたとあります。その内容が具体的にはわかっておりませんが、廂を軒下に巡らした構造や窓枠などに残るデザインなどから明治期の建築様式を色濃く残す建物であることは間違いなさそうです。
その後の国鉄時代の記録には、駅舎に改築や新駅舎落成の記事はなく、この意味からも明治期の建物である可能性は高いとみられます。
参考までに、現存する木造駅舎で国内最古とされるのが、JR武豊線の亀岡駅です。
こちらは明治19(1886)年に開業したとされ、にわかに注目されています。画像をみると建物の軒下を廂が巡らしていることがわかります。本屋に対し必要な部分に廂を設ける建築法は、明治から大正にかけての木造駅舎に見受けられることが多く、油須原駅にもみられるため明治期の駅舎である可能性が考えられます。
構造から
油須原駅の内部構造をみると、おもしろいことがわかります。それは、明治期に取り入れられた耐震構造です。
きっかけは、明治期に起きた大震災にあります。
明治24(1891)年の濃尾震災、明治27(1894)年の山形庄内地方で起きた庄内地震、二つの大災害は大きな被害をもたらし、人々に建物の耐震化を強く意識させることになりました。
煉瓦造の工場、煙突や木造家屋が夥しい被害を受けたのを目の当たりにした当時の政府は、西洋技術の導入とともに耐震性にも留意する必要性を痛感しました。
当時の政府諮問機関であった震災予防調査会(明治27年10月22日)より発表された内容が、
「又三角形不変の理即ちトラスを応用し、場合の許す限りは何れの部分於いても三角形に作り、其結合は鉄材(金物)の能力により強固ならしめ何れの部分に於いても一体となすにあり」
というものでした。
また、日本で最も古い駅舎と言われる滋賀県にある旧長浜駅の駅舎は、以下のような構造です。
屋根を持ち上げる小屋組みの構造、これが三角形の定理を応用した建築力学によるもので、和風建築にはなかったトラス構造をしているのがわかります。木造建築をはじめ、煉瓦建物などの屋根にも、このトラス構造をもつ方がのぞましいとの見解のもと、公共的な構造物や工場などの建築物に取り入れられるようになったのがこのころではないかとみられます。
そして、油須原駅の屋根裏をみると、画像のようにトラス構造を確認できます。つまり、明治期の建物でほぼ間違いないということになります。
明治期の木造駅舎は、今となっては老朽化が顕著で、各地で近代的な建築物に改築されることが多くなってきております。筑豊では、JR九州の福北ゆたか線の鯰田駅や直方駅がその典型で、一部で木造駅舎を惜しむ声もありましたが近代的な駅舎へと変わりました。
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