ヤマでたのしむ海の幸

現在の海水面を4m下げた「古遠賀湾」イメージ(引用:株式会社吉村建築事務所http://www.yoshimura-ao.co.jp/date/2016/05/?cat=3)

 「古遠賀湾」聞いたことのある方もいるかもしれない。しかし、一般的ではなく、古代史好きの愛好家とか郷土史研究家といった方でもないと詳しく知らないのではないか?人が住んでいる場所には必ずと言っていいほど遺跡がある。それは特に現代の集落からさほど離れていない場所にあることが多い。

 今から縄文早期末から前期前半(約6400~5500年前)に引き起こされた海進。温暖化となった地球環境の変化により、海水面の上昇がわかっている。場所によっては100m近く海水面が上昇したとも言われている。温暖化とは現代社会の環境問題で語られることが多いが、地球、宇宙の長い営みからみれば温暖、寒冷期のサイクルのひとつでしかなく、今に始まった事ではない。

 海水面の上昇は、今の日本地図からは考えられないような日本の姿がある。それを現代に示すのが貝塚。特に関東などでは現在の沿岸部よりもはるか内陸部に形成された事例が多く、そこからハマグリやシジミといった海辺の沿岸に生息していた貝類が、層状に廃棄されていたことが理解できる。

 この縄文海進と言われる時期筑豊地方でも同様に、遠賀川を中心とした流域は海水面の上昇により、下流域の標高が低い場所を中心に水没していた。福岡県では、糸島地域と遠賀川流域に貝塚が多くみられ、縄文時代の人々の暮らしが伺える。遠賀川は今でこそ川と呼ばれているが、5000年程前は洞海湾付近から南側の内陸部に深い入り江を形成していたと推測されている。

 これが「古遠賀湾」と言われ、写真のような想定がなされている。遠賀川を中心に現在の平野部は入江か浅瀬、もしくは湿地帯が広がっていたのではと考えられている。余談ではあるが、遠賀川の中流域に位置する直方は、付近が南北にまっすぐのびた干潟が広がっていたという故事にちなみ「のおがた」との呼び名があるとか。

地中に残る豊かな海の幸 貝塚からのメッセージ

発掘された新延貝塚貝層断面 びっしりと貝殻が厚く堆積している(鞍手町歴史資料館にて)

 「古遠賀湾」があったことを示すのが、縄文時代の貝塚だ。その代表的なものが鞍手町にある新延貝塚。芦屋町の山鹿貝塚とともに知る人ぞ知る古代遺跡。貝塚とは今で言えばゴミの処分場のようなもの。当時生活で不要になったものを遺棄したために、数十センチ~何メートルもの厚さの層を作り出す。その主なものは人が食した魚介類の骨やか貝殻などであるが、一部には石器や土器などの道具、ヒトやイヌなどの遺体を丁寧に埋葬した痕跡もある。

 新延貝塚では、 縄文時代前期を主体とする貝塚で、狩猟の道具、漁業の道具、土偶、耳飾りなどの装飾品、どんぐりなどの木の実、しじみなどの貝、イノシシ、シカの骨、埋葬された人骨が出土している。海から獲った魚や貝を食し、それを捨てたために生まれた貝塚は、今で言う漁業が盛んであったことを裏付ける一方で、山の幸も人々の生活へ活用された事がわかる。

 場所によっては干潟なども広がっていたとも考えられている。遠賀川中流域に位置する直方、その地名に秘められた由来が思い起される。

 今でこそ遠賀川は、一級河川として筑豊各地を潤す水系であるが、遠い昔は海の一部だった。江戸時代から水運が盛んであった遠賀川、より古い時代は海の一部だったとは…意外な歴史的事実と思う人も多いかもしれない。

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