廃線跡を楽しむ旅 ローカル線に秘められたストーリー(上山田線)

Blog 筑豊見聞録
嘉麻市熊ヶ畑のトロッコフェスタ
嘉麻市に残る旧国鉄上山田線。枕木とレールがしっかり残り、今にも列車が来そうな光景

鉄道の廃線跡を訪ねると、たくさんのストーリーに出会うことが多い。それは、筑豊地方でも例外ではない。いやむしろ、炭坑を中心として網の目のような鉄道網を完成させた筑豊炭田の過去を考えれば、話は尽きることがないかもしれない。

今、筑豊地方にある鉄道は、最盛期と比べ半分以下の路線となり、往時の面影はほとんどなくなってしまった。道路や遊歩道、サイクリングロードなどに姿を代えていった。少しさびしさも感じさせながら…

この一方でユニークな取り組みをしている廃線跡がいくつかある。そのひとつが今回取り上げる上山田線。廃線としては一部で線路やトンネル、橋梁などがよく残った状況で、当時の姿とほぼ変わらないままでいる。こうした例は全国的にも少数派かもしれない。

上山田線の開業と廃線まで

しっかりとレールが残っている廃線は珍しい(嘉麻市熊ヶ畑)

上山田線は飯塚から南南東方向にある上山田地区、ここには上山田炭坑という筑豊炭田でもトップ5に入る産炭量の炭坑として有名だった。飯塚から若松港へと向かう路線は、筑豊本線を呼ばれ、石炭輸送の大動脈とも言うべき存在となっていた。途中、各地の炭坑から集積された石炭を積み込む手順となるため、飯塚から先では輸送の過密化が問題となっていた。迅速な輸送体制のために計画されたのが上山田線だった。

このために計画されたのが、上山田から田川郡の川崎、大任として赤村を経由して、戦前期から開発され始めた苅田港へと至る新しい輸送網だった。戦後になって本格化した線路敷設したものの上山田駅から豊前川崎駅間の開業は昭和41(1966)年で、しかも旅客営業のみであった。エネルギー革命のあおりを受けた石炭産業は、昭和30年代をピークに相次いで閉山へと追い込まれ、貨物列車の走ることはなかった。旅客営業も振るわず昭和63(1988)年、上山田線の全線廃止が決定した。

新たな役割を担った廃線跡

橋梁・橋脚ともに当時のまま
プラットフォームに見立て枕木が積まれ

残された廃線跡は、今地元の人々を中心として「トロッコフェスタ・かかし祭り」と題したイベントでトロッコが登場する。家族連れ、子ども連れの世帯を中心に人気があり、10月の行楽シーズンにコスモスを愛でながら楽しめる。

トロッコフェスタ・かかし祭り」(嘉麻市公式HP)

近年鉄道の廃線活用がにわかに注目されている。少子高齢時代になり、公共交通の再編とスマート化の中で、廃線活用したトロッコ運行、イベント企画は、ちょっとしたトレンドになるやもしれない。

上山田線の位置

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