集中豪雨(令和2年7月豪雨)の教訓 遠賀川の治水へ

Blog 筑豊見聞録
令和2年7月9日付西日本新聞朝刊(筑豊版)

先日から九州各地に大きな被害をもたらしている大雨、令和2年7月豪雨と命名されたそうです。熊本では球磨川流域で犠牲となった人もいますし、福岡県では筑後地方を中心に冠水や家屋への浸水被害が大きくなっています。筑豊地方でも遠賀川の上流部や彦山川流域で一時的な氾濫があり、被害の拡大が危惧されたが、幸いにして人的な被害にまではいたらず、最小限に食い止められたようです。

日本全国どこでも安心とは言えなくなっている今、この地方の対策はどのようになされているのだろうか。今回は私たちの生活とは切っても切れない災害という課題、遠賀川の治水という側面からその実態をみてみましょう。

水害からみた遠賀川の歴史

記録に残る遠賀川の氾濫や洪水の発生経歴は、江戸時代のはじめ、元和6(1620)年から明治22(1889)年までに270を数えることがわかっています。そして、明治38年に発生した水害では、死者12名、家屋流出倒壊163戸、浸水家屋21000戸以上、堤防決壊257ヶ所というおびただしいものとなりました。(遠賀川河川事務所HPより)
このような大惨事に、治水の必要性を感じた麻生太吉や伊藤伝右衛門などの当時の炭坑主たちが中心となって、「遠賀川改修期成同盟」を発足。翌明治39(1906)年から10年計画での治水計画が着手されました。

それからも遠賀川の氾濫はたびたび発生し、平成15年には直方市、飯塚市の中心部を襲った洪水は記憶にあたらしい方も多いと思います。あらために認識したいと思うところは、私たちのくらしの身近にある遠賀川、それは流域を潤してきたと同時に、自然の猛威をふるってきた歴史もあることです。気象条件も従来のものとはことなり、これまでの常識では考えられないことも発生してきています。これを機会に遠賀川の治水対策が現在どのような形で進められているのかを、簡単にふれてみましょう。

母なる大河、遠賀川との共存にむけて


国土交通省九州整備局 遠賀川河川事務所HPより

遠賀川は一級河川のため、国土交通省が管轄となり、そのための機関として遠賀川河川事務所があります。上の図は、同事務所が公式に発表している「遠賀川水系洪水浸水想定区域図(想定最大規模)」です。これは最大規模の降雨量が発生し、本流、支流も含め氾濫した場合の浸水状況をシュミレートしたものです。

現在は平成28年に策定された防災対策計画のもと、河底掘削や堤防補強等の工事がなされているそうです(治水事業の効果)。その想定される降雨量が、12時間総雨量で592mmとされています。この計画がどれだけのものか、今回令和2年7月豪雨と命名されたものの中から検討してみましょう。

大雨特別警報中に記録された各地の降雨量は、気象庁の公式がもっとも充実している(令和2年7月豪雨 7月3日から10日までの雨のまとめ)。このうち、12時間雨量で415mmを計測し観測史上1位となった熊本県水俣市の事例があり、これと比較しても先述の計画雨量は十分なものと言えるかもしれない。しかし、南九州地方では甚大な被害となった熊本県人吉市からの報告によれば、想定を超えるものだったとか、短時間に集中的に急速なペースで襲い掛かってきたといった声も多く、想定外のことも十分あり得るという意識が必要です。

また、治水の一つの方法としてダムの建設があります。現在遠賀川水系にはいくつかのダム(陣屋、力丸、犬鳴、福智山)がありますが、これだけ大きな流域面積をもつ河川としては意外と少ないという印象があります。今後は気象条件や自然環境の変化にともない、遠賀川水系のどこかにダムの建設計画が持ち上がるかもしれません。このたびの豪雨における遠賀川流域の被害は、いずれも上流部に集中していたことを思えば、流量の規制を担えるダムがクローズアップされる可能性があります。


福岡県庁HPより

ただし、ダムは時として人災をも招きかねないものでもあります。また、生態系への影響や、自然環境の破壊にもつながります。大きな視野から地域づくりを考えれば、あながちにダム建設を推進すべきではないかもしれません。

紙面の都合もありあらすじのみをお話してきましたが、これをご覧のみなさんの認識が少しでも深まることとなれば幸いです。自分たちのくらしを自分たち自身で守るためには、情報共有も含め日頃からの認識を深めておくことがその第一歩となるのではないでしょうか。

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