犬鳴村 都市伝説と史実からみた最凶スポットの事実

Blog 筑豊見聞録
犬鳴御別館(復元模型・宮若市公民館若宮分館にて)

『犬鳴村』という映画(東映配給)が2月7日(土)から公開となっている。

映画のモデルとなっている犬鳴は、宮若市にあり、福岡地方と筑豊地方の境界でもある。

ホラー映画としてにわかに話題を呼び、第27回ジェラルメ国際ファンタティスカ映画祭に出品され、グランプリに次ぐ審査員賞を受賞というニュースも飛び込み、注目を集めつつある。このほか『犬鳴村』のゲーム化も決定するなど、ちょっとしたトレンドとなっている。

映画化される前から都市伝説なるほど、犬鳴という心霊スポットは日本最恐とも言われた。ウェブを調べると以下のような内容が目に飛び込んでくる。

・「日本国憲法がつうじません」その先へ向かうとボロボロの小屋が数軒あり、そこに住む人たちは日本語が通じない、その上訪れる人を斧で襲い掛かってくる。

・犬鳴隧道(旧トンネル)の工事中にたくさんの作業員が事故死した。このために古いトンネルに近づいてみた人はその帰りに事故死した。

こんな無責任なデマ、作り話が数多くある。そこに人々が興味を持つ理由はいったい何があるのだろうか。

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犬鳴、地名にまつわる言い伝え

もともと犬鳴という地名の由来は、ある猟師が犬と一緒にこの山に入ったが、鳴き止まないので撃ち殺してしまった。

その犬の遺体の先には大蛇がいたため、その猟師は犬が危険を知らせてくれていたことに気づいた。この悲しい話のほか、犬や狼が悲鳴を上げるほどの急な峠道であったためなどと謂れがある。

江戸時代、国井大膳という人物が書いたという地誌『犬鳴山』によると、

「往昔ハ当山の諸木立茂る事如麻竹のして良材多し、白昼と云共山中昏闇、狩人の外往向人稀にして、猪鹿猿狼のミ多し」

とあり、たくさんの木々に恵まれた山で、山中は闇の中にあるように暗く、イノシシやオオカミなどが多く生息していたと記録している。

福岡藩主初代黒田長政は、この恵まれた資源に目をつけ、ここで製鉄をさせた。

良質な木材を燃料に、当時近くの福津市あたりで採れる砂鉄がよく知られていたのを利用し、藩の工業を発展させようというのがねらいだったようだ。

このためには専門の匠が必要となる。この匠には、石見国(現在の島根県)から招いたという。

今でこそ製鉄はれっきとした職人芸とよばれるが、江戸時代には軽視されがちな仕事だったらしい。

このため招かれた匠たちは、付近の住人とは馴染めずに、次第に孤立していったのであろう。蔑まれ虐げられ、そんな無念のもとに匠たちはこの世を去っていった。

こうして犬鳴山の山中には「旅人墓」と伝わる墓が残り、それが次第に周辺の人々に恐れられ、たたられるなどという住民の思いへと変わっていった。

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福岡藩主の隠れ家犬鳴

犬鳴御別館(宮若市指定文化財・史跡)

これを知る人も少なくなってしまった。風化させたくないお話のひとつが犬鳴にはある。それは、「犬鳴御別館」という福岡藩主の別邸、いわば隠れ家のような城郭があったことだ。

慶應元(1865)年に竣工したこのお城、幕末の動乱期に造られたお城で、海岸線に近い場所にある福岡城は、軍艦の大砲から砲撃にはたやすい条件であったため、非常時の備え山間部に城館を造ることになった。

1年ほどの期間で竣工したため、お城としては簡素な印象があるものの、犬鳴という天険の地の理を活かして緊急時の拠点と言える。こうした歴史的な事実から、宮若市指定文化財(史跡)ともなっている。

宮若御別館復元模型

明治にはいり旧犬鳴隧道やトンネル工事などで犠牲なった人々の話も助長することになり、犬鳴という心霊スポットのネームバリューに拍車をかけてしまったというのが史実なのかもしれない。

黒田長政が犬鳴を「国の納戸」というほど、天然の資源に恵まれ、かつ、幕末期には福岡藩主の隠れ家とも言うべき「犬鳴別館」があるなど、心霊スポットという大きなイメージに隠れてしまっているものもある。

より多角的な見方で「犬鳴」を感じ、そして史実に見られる先人たちの供養、弔いの念も忘れるべきではないのではないだろうか。

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