夜桜見物インスタ映えスポット(筑豊版) 飯塚3選

Blog 筑豊見聞録
大将陣公園の山全体を覆う夜桜(出典元:暮らし~のhttps://kurashi-no.jp/)

だんだんと春めいてきた陽気の今日この頃、そろそろ桜の開花も待ち遠しいところ。そこで今回は、飯塚市の花見見物で定番ともいえる3か所を、過去の画像から振り返ってみましょう。それも今回は夜桜にクローズアップしてみました。

炭坑王の思いが公園に 勝盛公園

飯塚市の市民の憩いの場として親しまれている勝盛公園は、市街地から少し離れた片島という地にあります。この公園、実は筑豊御三家と言われた麻生家と関りの深いものです。

麻生太吉の子で、麻生グループの2代目である多賀吉が、先代の逝去をきっかけとして昭和10(1935)年に飯塚市へ付近の土地8895坪を寄付しました。もともと勝盛公園として整備されていた場所に隣接する土地を提供し、その当時は「櫓山(ろざん)遊園地」と言われていたようです。

ちなみに麻生グループは、地域への貢献事業として学校や病院の設立、電気事業や銀行業、鉄道整備などを展開したことでも知られます。それは初代太吉の頃から着手され、今の私たちの暮らしにも関わっているものが多くあります。それは近代から勃興した炭坑によって得られた利益が、地域への恩恵、それは様々な形となって生まれ、それが今に伝わっていると言えます。つまり、炭坑が無くなった今でも、その時代に育まれたものによって、この地域が成り立っているということです。

勝盛公園の夜桜(出典元:twitter@ogatea65)

騒乱の舞台 大将陣公園

ここも住民から親しまれた公園として、そして花見の定番スポットとして知られます。県内でもトップ5にランクインするほどの人気スポットですが、大将陣と言う名に何かを感じる人もいるかもしれません。

ここは今から1,000年ほど前に起きた、承平・天慶の乱という騒乱の舞台になっていたところです。瀬戸内海の海賊衆を取り仕切っていた藤原純友(ふじわらのすみとも)という地方豪族が、朝廷に反旗を翻し、西日本一帯を席捲したそうです。これに対し朝廷は源満仲(みなもとのみつなか)という武士の頭領を派遣し、鎮圧に乗り出します。この時満仲がこの山に陣を敷いたための由来とされます。ちなみにこの時、満仲が天の導きを祈願したという地が天道という地名になり、この地には今でも「天道神社」というそうです。

標高112mの山で全体がソメイヨシノを中心とした2500本ほどの桜が植栽されています。山頂へ向かう道は桜のトンネルのようになることで知られ、見物客を喜ばせることでも知られています。

大将陣山公園夜桜

穴場中の穴場 鳥羽池(鳥羽公園)

先述の2つの公園と比較するとそれほどメジャーではないかもしれませんが、知る人は池のほとりに咲き誇る桜を愛でに来るスポットとして知られます。ライトアップによって浮かび上がる夜桜は、昼間魅せる姿とは全く異なった演出となり見る人を魅了する。

昼は鳥のさえずりを聞きながらさわやかに桜を愛で、そして夜には艶やかにライトアップされた夜桜に見入る。昼夜に春の風流を味わえる場所は、ゆっくりとした時とともに癒しを与えてくれる。

鳥羽池(公園)の夜桜(出典元:Instagram@ mai626)

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